中国人「抗日戦争のさなかでさえ、我が軍は子どもには手を出さなかった」

2024年9月18日の朝、中国南部の深圳市で、日本人学校に向かっていた10歳の男の子が、学校の門から200メートルほどの路上で刃物で襲われ、翌日亡くなった。父親は日本人、母親は中国人だった。

中国の質問サイト「知乎」には、事件の翌日に二つの質問が立ち、合わせて600万回近く読まれた。そこに並んだのは、弔いの言葉ばかりではなかった。責任を日本の歴史に向ける声、「なぜこの事件だけ騒ぐのか」という声、そして、戦時中の話を持ち出して「子どもに手を出すな」と書いた声。中国のネットの受け止めは、一つではなかった。

元投稿

質問①:如何看待一日本小学生在深圳上学途中遇袭受伤,目前已身亡?
(日本人の小学生が深圳で登校中に襲われて負傷し、亡くなったことをどう見るか)
知乎/2024年9月19日/フォロワー1,927・閲覧2,807,412回・回答1,407件
→ https://www.zhihu.com/question/667591090

質問②:如何看待10岁中日混血男孩遇害事件?
(10歳の日中ハーフの男の子が殺害された事件をどう見るか)
知乎/フォロワー1,702・閲覧3,168,684回・回答1,217件
→ https://www.zhihu.com/question/667514434

知乎はログインしないと上位の数件しか表示されない。ここでは、表示された回答をそのまま訳す。

回答者:赞美愚者(華中科技大学 機械工学博士)
投稿日:2024年9月20日
賛同4,376・コメント559(質問①でいちばん多い)
→ 回答ページ

我的手上没有一滴血,我要反思什么,对岸的日本天皇,户口本上每一页都沾满了血,他应该好好反思,如果每年来南京和哈尔滨磕10个响头,是不是就不会有人向着无辜的人举刀了?

私の手には一滴の血もついていない。何を反省しろというのか。海の向こうの日本の天皇こそ、戸籍の一ページ一ページが血にまみれている。あちらがよく反省すべきだ。毎年南京とハルビンに来て10回ずつ額を地面に打ちつけていれば、罪のない人に刃を向ける者も出なかったのではないか。

南京は南京事件の、ハルビンは細菌戦を行った旧日本軍731部隊の拠点があった場所だ。この回答は、事件の責任を日本の戦争の歴史のほうへ向けた。これが、この質問で最も支持された回答だった。

回答者:匿名ユーザー
投稿日:2024年9月20日
賛同1,042・コメント64
→ 回答ページ

“那么不喜欢中国,觉得中国这么危险,你怎么不回国呀?”
“不反思一下为什么人家专门针对你吗?”
……
“我就在深圳,一点也不危险,有人捅刀子?我怎么没看见?”

「そんなに中国が嫌いで、危ないと思うなら、なぜ帰国しないの?」
「なぜ自分だけ狙われたのか、反省してみたら?」
……
「私は深圳に住んでいるけど、全然危なくない。刺した人がいる? 見たことないけど」

説明を一切つけず、被害者を責めたり事件を軽く扱ったりする言い回しだけを並べた回答だ。ネットにあふれた冷たい反応を、そのまま鏡のように映して見せる皮肉として読まれ、1,000を超える賛同を集めた。

回答者:白金
投稿日:2024年9月20日
賛同623・コメント72
→ 回答ページ

不就一个刑事案件吗?犯人该抓抓该判判。不过,之前在日本被杀得中国人我可没见过特意开个问题来问啊。

ただの刑事事件じゃないか。犯人は捕まえて、裁くべきは裁けばいい。でも、これまで日本で中国人が殺されたときに、わざわざ質問を立てた人は見たことがないね。

ほかの回答

牛克思(2024年9月19日・賛同1,374)
→ 回答ページ

哪怕是抗战时期,哪怕是杀起鬼子毫不手软的我军将士,也不会对孩子动手。

たとえ抗日戦争のさなかでも、日本兵を倒すのに容赦しなかった我が軍の将兵でさえ、子どもには手を出さなかった。

回答者はこう書いて、1940年の話を続けた。共産党の八路軍が日本軍の支配する炭鉱を攻めたとき、砲火の中から日本人の幼い姉妹を救い出した。司令官の聶栄臻は二人を世話し、手紙を添えて日本側に送り届けた、という話だ。

前燕吴王慕容垂(2024年9月20日・賛同1,803)
→ 回答ページ

孩子是无辜的,无论是苏州还是今天的深圳。但是,这不是日本逃脱历史反省,美化二战行为的理由。

子どもに罪はない。蘇州でも、今日の深圳でも。だが、それは日本が歴史への反省から逃れ、第二次大戦を美化してよい理由にはならない。

この回答は冒頭で「日本が周到に計画して中国の世論を揺さぶろうとした事件だ」とも書いている。子どもの死を悼む言葉と、日本への不信が、一つの回答の中に並んでいる。

裏取り

確認できたこと

日本側のデータ

2024年に中国で起きた日本人を狙った事件と、その後

2024年4月3日蘇州で日本人男性が切りつけられ負傷
2024年6月24日蘇州の日本人学校のスクールバス乗り場で日本人母子が襲われ負傷。止めに入った中国人女性の胡友平さんが死亡
2024年9月18日深圳で日本人学校に通う10歳の男児が刺され、翌日死亡
2025年1月24日犯人の44歳の男に死刑判決(確定)

出典:Wikipedia「深圳日本人男児刺殺事件」/外務省 海外安全ホームページ

事件の日の9月18日は、1931年に満州事変のきっかけとなった柳条湖事件が起きた日だ。中国では「国の恥を忘れない日」とされ、瀋陽などでは毎年この日に防空警報が鳴らされる。回答の多くが歴史の話に向かったのは、この日付と無関係ではない。

聶栄臻が日本人の少女を救った話は、史実だ。1940年8月、河北省の井陘炭鉱の戦いで、八路軍は日本人の姉妹を救い出し、聶栄臻は二人を世話したうえで日本軍側へ送り返した。妹の美穂子さんは1980年に北京を訪れて再会している(人民網日本語版/Wikipedia「聶栄臻」)。中国では日中友好の逸話として教えられてきた話だ。

確認できなかったこと

「日本が計画して世論を揺さぶった」という主張には、裏付けが見当たらない。裁判で死刑判決が確定したのは中国人の男で、日本が関与したことを示す報道や公式発表は見つからなかった。

日本視点

知乎のログインなしで見える上位の回答だけを読むと、中国の反応は冷たく見える。だが、同じ中国のネットで広く共有されたのが、亡くなった男の子の父親が書いたとされる手紙だった。事件の翌日に書かれたというその手紙には、中国も日本も恨まない、一部の人の犯罪で両国の関係が損なわれることを望まない、と書かれていた。この手紙は中国のSNSで猛烈な速さで共有され、「本当に申し訳ない」「涙が止まらない」という書き込みが相次いだ(ダイヤモンド・オンライン/ニューズウィーク日本版)。

知乎の最多賛同の回答と、父親の手紙に涙した人たち。どちらも中国の反応だ。知乎のように論じ合う場では、日本が絡む事件はすぐに歴史の議論に移りやすい。手紙への反応は、それとは別のところから湧き上がっていた。

日本の報道では、中国のネットの「冷たい反応」が強調されがちだ。それも事実の一部だが、全部ではない。1940年の聶栄臻の話を持ち出した回答のように、中国人自身の歴史の中から「子どもには手を出さない」という規範を引いてきて犯行を否定した声も、1,000を超える支持を集めていた。

何が見えて、何が見えにくいか

  • 見える:事件の責任を日本の戦争の歴史に向ける声が、知乎では最も支持された。事件の日が「国恥の日」の9月18日だったことも影響している。
  • 見える:「なぜこの事件だけ騒ぐのか」という反発もあった。
  • 見えにくい:被害者を責める声を皮肉った回答や、戦時中の逸話を引いて子どもを守れと書いた回答も、それぞれ1,000以上の賛同を集めていた。
  • 見えにくい:中国のSNSでは、父親の「中国も日本も恨まない」という手紙が広く共有され、謝罪の言葉が相次いだ。

日本人にとっての学びはこうだ。中国の反応を一つの顔で語ることはできない。いちばん大きな声だけを見れば冷たく見えるが、その下には、父親の手紙に涙した多くの人がいた。

まとめ

  • 2024年9月18日、深圳で日本人学校に通う10歳の男の子が刺されて亡くなった。知乎では二つの質問が合わせて600万回近く読まれた
  • 最も支持された回答は、責任を日本の戦争の歴史に向けた。一方で、被害者を責める声への皮肉や、「抗日戦争のさなかでも子どもには手を出さなかった」という回答も、それぞれ1,000以上の支持を集めた
  • 犯人の男は2025年1月に死刑判決を受けた。父親の「中国も日本も恨まない」という手紙は、中国のSNSで広く共有された

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